高校生の頃、女子主導のいじめを受けていた。
どこへ行っても何をやっても女子からはキモイキモイと蔑まれて、
「女子をキモがらせる奴を懲らしめる」名目で男子は暴力を振るってきた。
いじめ行為自体は女子からも男子からもあったけど、
正直こちらが反撃しても名分が立つ男子のストレートな暴力よりも(実際何度か反撃したら、少なくとも暴力は止んだ)
反撃することが許されない女子からの嫌がらせの方が辛かった。
俺が何より苦痛だったのは「女子から男子に」だったことでいじめが正当化されることだった。
実際先生に被害を訴えても、せいぜい男子の暴力行為や暴言が処罰された程度で、女子の仕掛けた暴言や中傷はほとんどお咎めなし。
こちらがより深く傷つけられたのは、寧ろ女子からの流言飛語や言葉の暴力だったのに。
ひどく傷ついたけど、そのころは「女子を不快にさせるなら良くないよな」と無理やり自分を納得させるしかなかった。
元々女子と話すことなんてなかったけど、極力女子から距離を置くようになった。
女子を不快にさせず、また攻撃を受けないようにするにはそうするしかないと思った。
でも、それでもキモイ、キモいと悪口は絶えなかった。身に覚えのない悪評も流された。
キモい、という言葉は本当に辛かった。
痴漢キモい。セクハラキモい。買春キモい。
そんな忌むべき性犯罪とも同列に並べられる。
何も悪いことなんてしていない、ただそこにいると言うだけで俺は性犯罪者と同等の存在とされたのだ。
今思えば、女性たちが気軽に吐き出すこの言葉で、どれだけ自己肯定感を傷つけられ、
生きていくのに必要な自信を失ったんだろうな、
女子が俺の容姿を侮蔑することから始まったイジメなのに、
いつの間にか「人格が劣るから相応の扱いをしてやっている」ということにされていたのも傷ついた。
曰く、「キモいって言われてるのにキモいまま改善しないのは向上心がない、周りへの配慮がない」とか。
「なんでお前らの好みに合わせないだけで嫌がらせされなきゃならなかったの?」
って今だったら思えるかも知れないけど、当時の俺は真に受けてしまって、
俺は性格が駄目なんだ、嫌われる人格なんだ、とすごく落ち込んだ。
そして改善しようとしてもその取り組みを嘲笑われ貶される。
イジメの原因だったであろう脂漏性皮膚炎の薬を塗るのを見られたらキモいと笑われ盗まれた。
美容院に行ったり服を買い揃えてみたりしても、似合ってないとバカにされた。
街でクラスメートの男女グループに遭遇したら大声でバカにされた事もあって、
自分が街に繰り出しちゃいけない存在みたいに思えて、ある意味学校でのいじめ以上に辛かった。
目的のはずの買い物もしないまま、逃げるように家に帰ったあの気分は今でも思い出してしまう。
本日のピックアップ(=゚ω゚)ノ
今、こうやって「虐め被害」を振り返ってはいるけれど、
あの頃の俺はイジメが平然と正当化される日常を過ごすうちに被害を被害とも思えなくなっていった。
自分が被害者だと確信を持てなくなっていった。
自分はキモくて、ただいるだけで女性に不快感を与え、人格も劣悪で、人に特に女性に好かれない。
排斥されて当たり前、世の中の邪魔、汚い人間……存在そのものが正しくないんだと思うようになった。
程なくして学校をやめて引きこもった。
外出は精神科に通う日だけになったけどそれすら苦痛だった。
病院のある街にいくたび、女性の視線が怖くてしかたなかった。
電車内でやむなく隣り合ったとき、エレベーターで同乗したとき、
女性が不愉快そうに露骨に顔を歪めるのを見ると、自分はおぞましい不快生命体なんだと実感させられた。
こういう反応は決まって女性からばかりだったから、ますます女性からの視線に怯えるようになっていった。
それでも精神科に通ううち、どうやら俺は何も悪くなくて、クラスメートたちが邪悪なだけだったのだと、
自分は被害者だったのだとようやく、本当にようやく思えるようになった。
ただ、どうしても腑に落ちなかったのはなぜあの頃イジメが、とりわけ女子の言動が咎められず、
あまつさえ正当化さえされていたのか、という事だった。
不思議と加害者たち本人への怒りはあまり湧いてこなかった。
彼ら彼女ら、特に女子たちは「普通の」人間だったと思う。
(俺には未だに信じられないが)性格の良い娘だと言われていた女子もいた。
そんな人達を平然と加害へと導くなにかがこの社会にあると考えて、
その正体が知りたくて色々調べるようになった。
そうしたら、なんとなくわかってしまった。
社会正義、平等、公平。
そんな「正しい」概念は、もはや俺のような男の傍には存在してくれないのだと。
総じてリベラルやフェミニストを標榜する人たちには、俺のような男はまったく視界に入っていない。
女性は保護すべき絶対の弱者、正義の体現者であり、
そんな彼女らに攻撃される男は悪に違いない、という決めつけが蔓延っていてそれを糾す様子もない。
要するに女性の持つ加害性について何も批判できないし省みることもない。
ネットを見ていても、女性の作家やら学者やら有名人やらがどんなに差別的で侮辱的な暴言を吐いても、
職を失うなどのお咎めを受ける事は殆ど無い。
そして今の世の中は、そんな人達によって価値観や規範を先導されている。
とりわけフェミニストと呼ばれる人たちは明確に俺の敵なのだろう。
彼女らはキモいという言葉で異性を傷つけることになんの躊躇もない。
一部の悪質な男に対して使っているだけだなんて、俺の体験を通してみれば欺瞞でしかない。
「男」「オス」という言葉を使っている時点で、確実に俺の方向にも向いている。
そして女性の加害性というものに対する自省もまったくしない。あっても同性への加害に対するものばかり。
女性の社会的自立を謳うなら、女性の加害を批判し自己を律するように要求することは不可欠なはずで、
実際に男性に対しては「有害な男らしさ」とやらを自省するよう求めているのに、
男性が女性から受けた被害体験を吐露すれば「男社会」という言葉を使って、
さも世の中の女性の持つ価値観には悪い部分はないかのように吹聴し、
酷いときには男性の被害者意識こそが問題なのだと非難する。
「男社会」で起きたことだから女は何も省みなくて良いということだろうか。
現実の世の中は、男社会どころか女性が不在の場面のほうが珍しいんじゃないのか。
そして、残念なことに「自分より下」と見なした男性に加害的に振る舞う女性は相当多い。
そいうときは決まって、有無を言わさず「人格面がクズ」ということにされるのだ。
俺がなんとか鬱から抜け出して働くようになってから目の当たりにした社内イジメもそうだったし、
ネットで交流した、女性からイジメを受けた男性もほとんどがそうだった。
少なくとも、リベラルな人達やフェミニズムの信奉者達が考えている以上にこの手のケースはずっと多い。
そして周囲は、対象の男性がそのコミュニティを追放されるまで彼女たちの味方をする。
女性の加害が加害とみなされず放置され、女性は自らの加害性に無頓着であり続ける。
俺が短い高校生活で味わったものと同じ地獄。
そんな社会を推進しているのがリベラルであり、フェミニストなのではないか。
自分の加害を加害とも思えないなら、セクハラを繰り返す醜悪なジジイと同じ。
制裁を受け社会から退場して然るべきではないのか。
なぜこの問題から女性達は目を背け続けるのだろう。
女性の加害性なんてまさしく「女性の問題」ではないか。
踏みつけている足をどけるべきなのは女性もではないのか。
下駄を脱ぐべきなのは女性もそうではないのか。
……などと、ネットではミソジニーと呼ばれる様な事を俺も思っていたが、最近になって納得するようになった。
女性の加害性も男性の被害も無視するのが「正しい」、そんな世の中なのだ。
女性の加害性の前に男性の加害性。男性の加害性が先に、延々と責められ続ける。
(なぜそんな順番が設けられているのか全くわからないが)
女性の加害性が批判される順番は永遠にやってこない。
価値観のアップデートとやらの内容に「女性の男性に対する加害は許されない」が含まれることはないだろう。
男性が生きづらさを吐露すれば「男も辛いんだ論」などと揶揄される。
女性から迫害された経験もないような学者やジャーナリストが
「男の辛さなんて大したことない」と断定しては世の中の言説を先導していく。
気に入らない男性に対して粗暴に振る舞い、傷つけるような言動を取り嘲笑し
それをネット上で誇示するような女性が「強い」と持て囃され共感を集める。
女性の価値観は絶対で、女性が不快と感じればその存在そのものが罪悪。
女性に承認されるか否かでその男性の人格面までジャッジできる。
正義とはそういうものだったのだ。
俺をいじめていた女子も男子も、彼らは「正しかった」からロクに罰されなかった。
女子は不快な俺を存在自体が罪悪と見なし排斥対象のマークを付け、
男子はそんな彼女らの味方をし正義をなした、それだけのこと。
俺は存在自体が正しくない。生まれつき正しくない、汚い存在なのだろう。
正直もう疲れてしまった。
俺はもう、女性が怖くて嫌で、例えば恋人と交際したり結婚したり、人間らしく家族を営んだりはできない。
親もタヒに、何を生きがいにすれば良いのかわからない。
趣味もあったけど、それも女性からクレームを付けられるようなコンテンツを楽しむ「正しくない」趣味だった。
ずっと社会から排除されないよう女性を不快にさせないように近づかないようにと気をつけていたけど、
女性と世間話の一つもできないような男は、社会に溶け込めるどころかどんどん社会から疎外されていった。
かろうじて正社員として仕事はしているけど、この先に待っているのは、狭いアパートで孤独タヒするのがせいぜいだ。
ただ、同じ人間として扱ってほしいというだけのことがどうしてこんなにも辛くなってしまうのだろう。
この世の中で生きていく自信がなくなってしまった。
中間オススメ(*ノ・ω・)ノ⌒。ドゾ
こんな愚痴を書くと、「性別関係ない」とか「女も男からいじめられる」とか、
そういう話になってしまうと思う。そういう反応が来る事は容易に予想がつく。
俺はあくまで「女性による男性への加害」の話をしているつもりだけど、、
正直言って、この話を性別関係ないなんて言われても、
女性の加害性についての追求を有耶無耶にされてるようにしか感じられない。
例えばの話だけど、男性からイジメ・セクハラ等を受けた女性が、男性の加害性の話をしているのに対して、
「男性も女性からいじめられているがそれについてはどうなんだ?男女関係ないよ」なんて言われてたらどう思うか。
そういうのはどっちもどっち論だとかWhatAboutism、酷い言い方だと「セカンドレ〇プ」などと呼ばれて批判されるものでは無いのだろうか。
もうこういうダブルスタンダードにも、それが当然のようにリベラルな人達や
フェミニストな人達の間でまかり通っている状況に疲れ果ててしまった。
「お前は正義の対象外だ」とネットを覗くたび、テレビを見るたび日々突きつけられる気持ちは、
社会的に「正しい」正義を謳歌してる人たちにはわからないんだろう。
もう疲れた。楽になりたいよ。
見なかった事にする方がまだマシだと思う
言いたいことを書くうちに溢れ出してしまったのかな。
まあ、確かに男から女へのいじめ等が女から男へのいじめ等より重く扱われるのは感じる。良くないし、傷の深さは一緒だと思う。
それでも男から女へのいじめ等が取り沙汰されるのは女が男に力で敵わない(ことの方が多い)からかなと個人的には思うよ。肉体の性差で生まれるステータスは仕方ないし。
とにかくあまり思い詰めなさんな。
こういう所で吐くだけ吐いたら、好きな物食べてとにかく寝た方が良い。
自分の周りに好きな物たくさん集めたら少しは気分良く過ごせるよ。
人として傷ついたんだからキモくないよ。
この記事へのコメント
長さを感じさせない読みやすい文章だった
もっとネットで発信すればいいのに
要約してくれ
読む気ならん
ああ、これじゃ周囲から遠ざけられるの仕方ないかな
と思わせられる文章だったわ
これ系のコメントはある種の病気だわ
こういう被害者達の一部が積もり積もった怒りとあきらめで重犯罪を犯してしまう事もあるんだろうな
要約するとリベラリストやフェミニストはいじめ加害者って事?