子供の頃から親が躾けてくる事が嫌で嫌で仕方なく、部活動で顧問に怒られるのも理不尽さを感じていました
バイト先でも就職してからも、叱られる事が嫌でたまりません
怒ってる人間は怖くて仕方なく生理的に拒否反応が出ます
叱ってくる、怒ってくる人、男性がほとんどですが、そういう人には一瞬で心を閉じてしまいます
発達っぽい傾向だなと思い心療内科を受診した事がありますが、特に診断はされませんでした
このままではいけないと思っていますが、どうしたらこの異常な叱られ耐性のなさを治せるでしょうか
どういう方向にメンタルを鍛えていけばいいのでしょうか
たまにスポーツのドキュメンタリーなどで監督がかなり厳しい言葉で選手を叱ったりしていますが
あんな物言いをされたら一瞬でその相手が嫌いになります
実際、新卒2年目から3年ほど体育会系の上司にあたりました
厳しいけどいい人と評判の課長でしたが、わたしは嫌いで嫌いで吐きそうな毎日でした
本日のピックアップ(=゚ω゚)ノ
ちゃんと就職して社会生活を送れてるなら「病的」ではないでしょ。
鬱になるとか転退職を繰り返すとか具体的な支障がない限り診断は出ないだろうし、自分は病的だとか特別視せずに辛かろうが吐きそうだろうがやり過ごせば良い。
みんなそんなもんだよ。
理不尽なパワハラだったらまともに付き合う必要ないと思うけど、親の躾も例に出てるってことは、相手の言ってる内容の正否を問わず怒ってる雰囲気だけで拒否するみたいだから
強いて対策を挙げるなら、相手の言い分の合理性を冷静に判断して自己反省できるよう、読書や多様な社会経験を積んで論理的思考力を鍛えるとかかな。
理不尽なパワハラや憂さ晴らしな場合もあるけど、ちゃんとした理由で自分を叱ってくれる人は味方だからね。誰かをきちんと叱ることは叱られる以上にエネルギーが要るから、
それを理解せずいつまでも怒られた!怖い!悲しい!って悲劇のヒロインぶるのは病気と言うより幼稚だね。
社会経験を積んで叱る側に立てば、無闇矢鱈と叱られることを拒否してた自分は未熟だったなーって思えるんじゃない?
>>758
レスありがとうございます。ご指摘の通りかなり幼稚な精神だなということは自分でも自覚があります
実は恥ずかしながらすでに30代前半の課長職、3歳の息子がいる既婚者です
今は自分も叱る側というか指導する側の人間なので、若い頃の無駄なストレスはかなり軽減されました
会社でも部下を管理する立場ですが、部下が何かミスをしてしまっても基本的には対話で自分のしでかした事を認識させ、繰り返さないように対策を立てます
どんなに年下でも1人の大人なので、言えばわかってくれる事を信じ尊厳を損ねないように話し、お願いします
若手が私の言うことをよくきくからという理由で縦割りチームを任されて課長まで昇進できました
もちろんおだててくれてる表向きのお褒めの言葉ということは理解してますが、このやり方で不都合は今の所ありません
できの悪い部下にあたっても、3回も注意という名のお願いをすれば大抵は改善されます
直らない部下には面談をして、淡々と「このままではこの部分の査定は下げざるを得ない、当然部門長にも社長にも報告しなければならなくなる」
「あなたをそういう風にしたくないから一緒に更なる改善策を考えよう、これだけはどうか真剣に取り組んでほしい」と訴えます
当然進捗は上に報告し、後は淡々とできなければ査定をマイナスにし、問題がある子なら適切な部署とのトレードを検討するだけです
叱るという場面はほとんどなく部下を回しています。舐められているなと感じる時もありますが、表面的には上手くいっているので上の評価も悪くはなりません
息子も、言ってもわからないイヤイヤ期もギャン泣きも(そういう時期だからまあ仕方ない)の精神でダメな事は有無を言わさず回避してなるべく会話する方法で躾をしています
私が感情的に怒ることはほとんどなく聞き分けのいい子に育っていて、しかしこれは単純に息子の資質なのかもしれません
旦那もかなり穏やかなのでその血をひいたのかなと
とにかく、叱る立場になっても感情的に叱るという場面はほとんど遭遇しておらず
過去に親や上司から苛立ちをぶつけられた事は今も納得がいっていません
もちろん理屈はわかっているし自分が悪かったこと、自分のためを思って言ってくれていたことも理解しています
それでも叱られた事実、怒られた事実は全く感情的に受け入れられていない
病的と書いたのは、社会生活が送れなくなるからではなく、その人物に対する恨みつらみが異常なのです
よく叱る父親をタヒぬほど恨んでましたが、同じ環境で育った妹はなんでそんなに嫌うのかわからないと言います
地獄に落ちてほしいと思っていた体育会系教師も生徒の人気者です
親とも良い関係を続けていますが、あの頃叱られた恨みは忘れていないし許していません
今、私に対して叱る事がないから円満にできています
ただこれからもっと上に行くには上司の理不尽さや怒りを回避するのは困難です
パワハラまでいかずとも、部長職以上は常に役員の顔色伺いと叱責がデフォルト
上司の負の感情を受け止められず壁を作って信頼が得られるはずはありません
その辺りの拒否感が恐らく私は見透かされてしまうでしょうし、普通の人並みの耐性をつけたいのです
>>760
「怒る」と「叱る」の区別がついてなくない?
感情の高まりをぶつけるのが「怒る」、感情を律しながら相手のために厳しく戒めるのが「叱る」だから、「感情的に叱る」って言葉としておかしいよ。
>過去に親や上司から苛立ちをぶつけられた事は今も納得がいっていません
感情的に「苛立ちをぶつけられた」ことは納得しなくて良いと思うよ。
でもその場面と相手が自分のために叱ってくれた場面は区別しないと。
「叱る」=静かに言い聞かせるではなくて、こちらの本気度を表現するために時には声を荒げたり怖い表情をしたりするパフォーマンスが必要なときがある。
この先何年も育児すればわかると思うけど、ギャングエイジやら思春期やら、穏やかに言い聞かせるぐらいじゃ全然言うこと聞かなくなる時期が必ず来るよ。
世の親たちもできれば怒鳴らず穏やかでいたいけど、相手の成長のためにエネルギーを使ってそういうパフォーマンスをしてるんだよ。
あなたの育児や部下との関係を長文で書き連ねてるのは、結局自分でも叱るという行為の正当性に納得がいってないからでしょ。自分は叱らないで上手くやれてるのに!って。
自分の幼稚さを自覚してると言いつつそういう変な自負があるから成長できないんだと思うけど。
まずは理不尽なパワハラめいた「怒る」なのか自分のための「叱る」なのか区別することから始めたら?
理不尽な「怒る」についてはまともに取り合う必要ないと思うけど、「叱る」ことにも納得がいかない、もしくは両者の区別がつかないなら自分の未熟さを自覚して、ひたすら謙虚に耐えた方が良いよ。
>>761
>もちろん理屈はわかっているし自分が悪かったこと、自分のためを思って言ってくれていたことも理解しています
>地獄に落ちてほしいと思っていた体育会系教師も生徒の人気者です
親とも良い関係を続けていますが、あの頃叱られた恨みは忘れていないし許していません
感情的に叱るという意味がよく分からないんだけど
他の人も言っている通り怒ると?るは別物
そして、?る際の方法論の一つとして「怒り」「恐れ」でもって子どもにストッパーをかけるってのがあるってだけ
要は秋田のなまはげだよ「悪りぃご(悪い子)はいねがぁ~(いないか)」って家に押し入って怖い感じのパフォーマンスして結果子どもは泣いたりしてるけど
実際そのなまはげ(本当は神様らしい)は家の厄祓いしてくれる存在で悪いものじゃない
もちろん相手によっては慎重にしなきゃいけないと思うよ?パフォーマンスにもがある
なまはげだって幼少のトラウマになるかもしれないもんね、テレビで見ると子ども大泣きしてるところもあるし
要は、あなたの性格ではその方法論だと合わなかったって事じゃないかと
それならしょーがないのよ、合わなかったのだし親御さんも工夫すべき所はあったかもしれない
でも親御さんだって聖人君子ではないから、子どもに理不尽な事されたら相手が子どもとはいえそりゃイラッとくるし
親だからって子どもに理不尽な態度やイタズラされていいわけではない
「叱った奴らがタヒぬほど嫌い」なら、どういう態度で嫌いなのか自分の思い出や感情を冷静に考えて
自分の成長にとって「?られる」という経験は何だったのか
これからの子育てで「?る」という行為が必要な場合自分はどうしたらいいのか考えてみたらどうだろう
中間オススメ(*ノ・ω・)ノ⌒。ドゾ
>>763
沢山のアドバイスありがとうございます
「感情的に叱る」という言葉は検索すれば沢山出てくる言葉ので日本語としておかしいことはないと思うのですが、
自分の中のニュアンスで「怒る」「叱る」「優しく諭す」という3つの段階に勝手に区別してしまっていました
仰りたい意味わかります。感情に任せることと、相手のことを考えたパフォーマンスは違うと
その違いは自分の中で理解できてると思います
しかし、だからといってその方法には納得がいっていないというか、理屈はわかり自分のためであった事もわかりますが必要ではなかったと感じています
いや、必要であったとしても許せないのだと思います
お二方の言い分は、私からすると
「ホラーにも名作はある、きちんと作品のクオリティや脚本の細やかさに目を向ければ、怖がらせる演出の必然性も見えてくるはず」
「ただ怯えせたいだけのパニックホラーと作品として意味のある恐怖シーンは区別して考えないといけない」という事を言われてるような感覚です
高所恐怖症の人間が高いところに登って怖い、というなら、ただ危険な場所と安全が確保された高さをごっちゃにしてはいけない、その安西性を認識すれば怖くないはず
そういう区別をされてるような気持ちなのです
本能的なもので、その違いを認識しても怖いものは怖い、許せないものは許せない
幼稚といえば幼稚なのかもしれませんが、高所やホラーに似た絶対的な恐怖心が湧いてくるので、それを感情的に受容することは難しいです
病的と称したのは、怒る事も叱る事も全て恐ろしく、それをしてきた人間がどんな理由であれ絶対的に許せないからです
安全性を認識しても高いところは怖い、作品の中の必然性を認識してもホラーは怖い、みたくない、そういうものと同じ恐怖心なんです
社会的に我慢して耐えることはこれまでもしてきました
しかしそうではなく、できれば恐怖心をなくして受け入れる事をしたくて相談いたしました
私の中で「その行動の意味、意義を正しく認識する」は恐怖心を取り払う方法にはならないので、申し訳ありません
高いところやホラーを克服したいなら沢山経験して慣れ鈍らせるしかないと思うのですが
上述の通りさまざまな場面で幼少の頃から耐えてきても全く慣れませんでした
だから、あなたの状態は「恐怖症」でも「絶対的」でも「病的」でもないよ。
高所恐怖症が例に出てるけど、単に高い場所が苦手なのと恐怖症は全然別物。恐怖症は身体が竦んで一歩も動けないとかそういうレベル。
あなたは叱られるとパニック症状が出るとか、衝動的に他害に至るとか、相手の目を一切見られなくなるとか、具体的な支障がある訳じゃないんでしょ?
相手が大嫌いでも吐きそうでもそれを隠して普通に振る舞えるレベルなんでしょ。
それは病的とは言わないよ。好き嫌いをアレルギーだ!って喚いてるようなもん。
「叱られ耐性」という言葉があるけど、叱られ嫌いの人が何度も叱られて改善することは確かにないと思う。
自分が叱られるのはおかしい!許せない!っていう認知の枠組みの歪みを正さないといくら叱られても同じだよね。
そのためにはまず自分の状態を変に特別視しないで、これは絶対的なものじゃない、未熟であり甘えであり成長によって変わるものだと自覚することから始めないと。
>>764
あー、伝わってなかったか。ごめん違う違う、頭の中で冷静に切り分けてとは言ったけど
心の中で叱られた事を納得しろとまでは言ってないよ
なまはげ(の中の人)だって子どもに悪意があるわけじゃないけど、結果的になまはげがトラウマの子も中にはいるかもしれない
その子が大人になってなまはげがどういう行事が重々承知してても、なまはげの中身がご近所の優しい気さくな爺ちゃんって知ってるとしても
トラウマが消えるわけではないし、消せないよね
>必要であったとしても許せない
だから正直、耐性を付けるのは無理だと思う。きっと100%有責で叱られても「怖いし許せない」ってなると思う
何故なら757はここでやり取りしてても、生真面目にこちらの考えに対して「反論」という形で長文で返してきてる
実は叱られたり責められたり反論される事に対して対抗しようとする気質が強いと感じる
人間含めて動物って恐怖を感じた時に、自身を守る為に相手に攻撃することが少なからずあって
757の場合は攻撃というか恨みの感情となってそれに支配されちゃうんだろうな
なんというか、「臥薪嘗胆」を地で行くタイプだよね
それは別に悪い事じゃない、でもそういう人に「耐性を付けて受け入れろ」って言っても性質的に無理
だとしたら、やる事は面倒でも「自分が叱られた時」に恨み辛みの感情をきちんと整理して
自分の頭の中を 仕方がないけど怖い許せない→怖い許せないけど仕方がない くらいのレベルに持ってくのが関の山だと思うよ
ただ、個人的に問題だと思うのは叱られた相手に対して「怖い許せない嫌だ(そこまで自分悪くない)」だけに支配されてる様に感じられること
そうじゃなくて、叱った人の状況や更に感情までをじっくり客観的に思い巡らした上での「怖い許せない嫌だ→でも自分が悪かった」ができれば前進だよなぁと思う
普通叱られてそこまでじっくり考える人なんてほんの一握りだけど
757はここに書く程度には自身を問題視してるんだから、試してみても無駄にはならないと思う
聴覚過敏かもしれない当てはまるか調べてみて
病気レベルででないにしても恐怖症克服のための訓練は役に立つんじゃないかな。
心を鍛えるといっても漠然としてるから
行動を変えることで自分を変えていく
医者じゃなく行動療法をやってるカウンセリングにかかってみたらどうか
>>772
病的という表現が誤っていたなら申し訳ありません
確かにアレルギーではなく単なる好き嫌いです
そして未熟であり幼稚である事も認識してると思います
例えば怖いコーチに叱られてる小学生や中学生のスポーツクラブの子を見ても、あんなの自分なら耐えられない、受け入れてる子供達は少なくとも自分より精神的に発達してると思います
体育会系の人は高校生でも社会人でもそれだけで自分にない精神的な強さと大人なメンタルを持っていると尊敬します
自分が幼稚園児のメンタルから成長できてないとも思っています
しかし、それでも、いくら自分が有責100%でも、叱られる事には納得がいかないのです
そんな権利が親であろうが他人にあるとは思えないのです
まさに認知の歪みという表現がぴったりなのかなと
私の中では単なる必要な躾すら、虐待と同等の不当な扱いとしか感じられないのです
相手の感情を考えてといいますが、多分考えられてはいます
怒る人はこういう理由で怒っているんだな、そういう感情も持つだろうと
でも私は同じことを自分に置き換えても、怒った事を相手に厳しさや怖さを持って伝えはしないので、やはり不当に感じてしまうのです
相手の気持ち、感覚からの→叱責 が仕方ないと思えないのです
そういう感情を持つのはわかる
しかしそれを相手に出すべきではない、出して相手を怖がらせるのはなんの意味もなく不当である
なぜなら私はそこまでの怒りを感じても相手の事を考えたとしても、そんな対応にはならない、つまり必然ではないから
結局全部言い訳なのだと思います
そうじゃないやり方があるのになぜ不当に相手を傷つけるのがわからない
受け入れられない、受け入れたくない、嫌い、憎い、なぜ叱る=相手を傷付けてくるような罪人をこちらが思いやらなければならないのかわからない
こう書くと本当に幼稚園児の思考回路です
でもそこからの抜け方がわかりません
>>782
行動療法やってるカウンセリング、恐怖症克服の訓練、すごく良さそうです
調べてみます、ありがとうございます!
どこかで見かけた「心の中でブレーキとアクセルを一緒に踏んでいるよう」という表現がしっくりくるんです
克服したい、どこにでもいる中学生が部活の先生に叱られる、サラリーマンが怒る上司に頭を下げる、
そういうのを相手を殺したいほど憎むのではなく嫌だけど相手の立場もあるし仕方ないと思って割り切れるくらいのメンタルになりたいと思う反面
そんな事絶対に絶対に絶対にタヒんでも認めたくない!!自分を叱る人間は絶対的に悪!!自分を傷つける人間なぞタヒ刑でいい!!くらいの勢いで対抗する自分がいます
この強力なブレーキをまずどうにかしたいです
行動療法、調べてみます、ありがとうございます
この記事へのコメント
自意識と自己弁護の塊ですなあ
正しく言語化しないのが駄目だな
そこから逃げると感情的になって逃げるか、感情を閉ざしてやり過ごすかになる
言語化して是々非々を客観的に認識すれば、正しい選択肢も見えてくる
あとは「選ぶ」ことへの強さの獲得だな、けどその段階にも届かないで強さを得ようとしてもそれはほぼ間違いかな
発達疑ったならなぜ発達外来や精神科に行かなかったんだろう。精神科でも判定できないことも多いのに、診療内科だけ。
文章からは繊細さんのようにも高知能アスペにも見えるんだけど。
感情的な人が嫌いでそれが自分に向けられたらどんな理由があっても生理的に無理って話でしょ
「親には感謝してるけどあの出来事は許せない」とか「夫の事は愛してるけど〜」的なもの抱えてるなんて普通だよ
別にそのままで問題ないわ
単純に異常に我が強いだけよ。あと、自分の近況は嘘ついてるね。自分の思う理想を並べているだけの無職未婚引きこもりと見た。いくつもありえない事を言っているがその一つは「こいつを昇進させる上司はいない」という事実だ。どうやって主任係長課長とトントン拍子に出世した?