アラフィフだけど1年上の先輩がムカつく
A先輩(独身こどおじ)の話。
A先輩まではバブル組。
就活なんて余裕で、三流大学でも大手から内定出まくり。
内定でた大企業からは、逃げられないよう海外旅行プレゼント。
自分も海外旅行の行き先で就職先決めてもいいかなと思ってた。
そしたらバブル崩壊。
自分は氷河期第一期生だけど、当時は景気はすぐ回復して
自分たちの年代だけが不幸だと思ってた。
氷河期がこんなに長く続くとは思ってなかった。
当時は酷い圧迫面接もあって、鬱になりかけながらも
就活に苦労して、微妙な企業に入った。
同情されたり、アホ大学だから仕方ないと罵られたり。
でも今の若い子たちよりは、それでも恵まれていた。
自分は拾ってくれた企業の営業部で一生懸命働いた。
ノルマはきつかったけど頑張って働いてきた。
本日のピックアップ(=゚ω゚)ノ
A先輩も大企業で営業職だった。
なのに仕事してない。
勤務中は営業車で寝てるか、帰宅して寝たりゲームやったり。
どんどん調子に乗って、営業車で繁華街に行ってフ―俗まで。
所詮大企業、正社員は何やってもクビにならなかったし
ノルマ未達など気にもしない鋼の精神の所有者なので
遊び惚けて大企業の給料もらってのうのうと生きていた。
「うちの会社の人事史上最大のミス」って自分で言ってたくらい。
時は流れてリーマンショック。
大企業も例外ではなく、バブル期に採用してしまった
使えない人材の人員整理が始まった。
A先輩は早期退職で大金もらってアッサリ退職。
一年発起して、A先輩は退職金で喫茶店を開いた。
悉く運の良い人で、同時期に周辺にあった古い喫茶店が
店主の体調不良で2件、投資に失敗したとかで1件潰れた。
周りは二郎系ラーメン屋とマックしかなかったので
中年のサラリーマンで、ランチはそこそこ需要があった。
そしてA先輩の母親が定年を迎え、
調理スタッフとして働きだした。バイト代は激安。
A先輩はそもそも勤勉さのかけらもない男なので
自分の店はあるものの、ほとんど母親がお情けで切り盛りしてた。
そしてそのお母さんが入院し、店が回らなくなった。
ランチは業務スーパーの冷食のチャーハンとピラフを
温めて皿に乗せるだけ。酷い店になった。
そして1か月も経たないうちにコロナが来た。
家賃含め諸経費を払ったらロクに残らないほど
ダメダメでグダグダな経営だったのに
コロナでアホみたいな補償金が入った。
現在までで8ケタ入っているらしい。
車を買い替えて、休みの日はパチ屋
恐らくフー族にも行っているはず。
生まれた年が一年違うだけで
大学時代からろくに苦労もしてない。
遊んでただけで大企業から多額の給料をもらい続け
転職後も名前だけ店主で苦労せずにのうのうと生きて
今度は国から多額のお小遣い。
どれだけ美味しい人生なんだ。
怒りの行き場が見つからない。
同じ状況でも鋼の意思を持っていなければそんなにサボって過ごすことはできずにそれなりに働いていただろうし、
早期退職して喫茶店を開く攻めの姿勢になれただろうか?
そう考えると葛飾の両さんのように面白おかしく暮らすのも楽ではないと思うしかないのかなと思う。
この記事へのコメント
生まれを恨んで何になるの?
先輩の真似はなかなかできないわ。
というか、先輩は自営業で成功する典型的タイプだよね。
まぁ最初でそんな運使ってしまうと因果応報がありそうだなw
お母さんなくなってお店潰れても貯金があるうちは生保貰えないよ
運の前借りよ